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インフルエンザ脳症の後遺症で保育園に通えるの?~知的障害児との生活~

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障がい児

みなさんこんにちは。
養護学校に通う女の子、unaと市立の小学校に通う弟、kanaの二児の母、ジンベエパンです。
このサイト、「unatokanato」で二人の日常などを書いています。

 

前回、unaが保育園に通っている時にインフルエンザ脳症になった話を書きました。

インフルエンザ脳症になって、2ヶ月の入院生活を送り、後遺症として知的障害、身体障害を持った状態で保育園に復帰させたいと思っていた時の話です。
(当時はまだ手帳の申請をしていなかったので、正確には障害名などは、unaにはついていません。)

 

退院してからのunaを他人に見せるのはこれが初めてのことです。

以前通っていた保育園に、この状態でもう一度通えるかどうか判断するため、unaを見せてほしいと言われ、おどおどしていた私に、パパさんの一言で見てもらう決心をしたのでした。

↓前の記事はこちら

保育園に通っている途中でインフルエンザ脳症になりました。~知的障害児との生活~
...

 

初めてunaを見せる

ふにゃふにゃと体に力が入らないunaを抱きかかえて保育園の相談室へ入ると、園長先生、担任の先生、そして市役所の担当の方が二人、たったままで私たちを待っていました。

 

座るようにすすめられましたが、椅子に座っても横に倒れてしまうので、座らせられないというと、床に座布団を敷いてそこにunaを横にさせました。

 

びっくりするよね、こんなunaを見たら・・・

 

そんな様子でドキドキとほかの人たちがunaに「大変だったねー」と声をかけてくれる様子を遠い眼差しで眺めていたように感じます。

 

このあと、何言われるんだろう。

 

そればっかり考えていて、その間みんながunaに何を話していたのかよく覚えていません。




自分でも目を背けたくなるようなunaの状態を、他の人たちはどんな感じで見ているのだろう。
興味かな?めずらしさかしら?

 

もう、この時は自分で自分を追い込むことしか考えられなかったんでしょうね。
とにかく、早く終われー!っと祈るばかりでした。

ドキドキの協議の結果

とてつもなく長い時間に感じられたunaの観察が終わった後、園長先生は

じゃあ、頑張りましょうね、unaちゃん

と声をかけてくれました。

・・・。

頑張りましょう?

と、いうことはまたこの保育園に通えるの?

 

ほっとしましたよ。
これで仕事に通える。
これで少しでも、unaに関わる時間が減る。

 

決してunaと一緒にいたくない、というわけではないんですよ。

 

この時の私は、何もできないunaと同じ時間を過ごすのが、少し苦痛でした。
unaのことを放ってはおけないけど、まだやっとハイハイを始めたkanaもいる。
どちらも目を離せない、厳戒管理体制・・・。

 

2人いっぺんに何かを要求してくることも、それはもう日常茶飯事で、
「ちょっと待ってよっ!!」
と言ってもわかるものなんて一人もいない。二人ともわからんちん。

 

当時の私は、子どもに泣かれるということがすごく嫌でした。
だから、なるべく泣かないようにどこかの課長のようにご機嫌取りもしていました。
なのに、どっちかをかまっていると、どちらかが泣く。
泣いている方をかまえば、もう一方が今度は泣く。

 

あーあーあーあー!!

 

同じことを言いますが、

 

「ちょっと待ってよっ!!」
と言ってもわかるものなんてそこには一人もいないんです。

 

でも、これ疲れるよね。
何これ、もう育児じゃないよ。
ただの負担としか感じられない。

 

毎日イライラしてはストレスをためてました。
なので、髪の抜け方が半端なかったです。
髪を洗うと、排水溝がつまりました。

 

そんなだったから、だから、またunaが保育園に通えるようになれば、精神的にも少し余裕ができるかも。

 

本当に心底ほっとした瞬間でした。




もうほんとダメ人間

「ジンベエちゃん、大変だったね。」

 

園長先生から、その後のことについて説明をしてもらった後の、魂が抜けかかった奇妙な母親(私のこと)に一人の男性が声をかけてきました。

 

誰ですか?と首からぶら下がっている名札を見ると、「子ども保育課」と書かれていました。
その下には、聞き覚えのある名前が書いてありました。

 

その人は、私が幼いころに近所に住んでいた幼馴染でした。

 

いつの間にか引っ越していて、いつの間にか会わなくなっていた子だったので、久しぶりに会ったという感激もくそもなかったのですが。

 

その人が、懐かしさから優しい言葉をかけてくれたのかどうかはわかりませんでしたが、それでもあたふたしている私を気遣って、最大限のお言葉をかけてくれたのでしょう。

 

しかし、その時の私は

 

なにがわかるんじゃ。
今のこの気持ちなんて、あなたにわかるまい。

 

こんな感情むき出しで、精一杯の愛想笑いをしていたと思います。

 

今思えばその時の私は本当にダメ人間でした。
優しい言葉をかけられても、感謝の気持ちがでてこない。

 

自分だけが大変で、

自分だけが悲しんでいる。

 

そんなトゲトゲ感情だけで生きていました。

 

当時はそんなことにも気が付かずに、とりあえずunaがこの保育園に通えるようになったことで、その日はほっと胸をなでおろして家に帰ったのです。

 

まさに自分とunaのことしか考えられない毎日でした。

 

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コメント

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