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一年間の保育園生活の末~知的障害児との生活~

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障がい児

みなさんこんにちは。
養護学校に通う女の子、unaと市立の小学校に通う弟、kanaの二児の母、ジンベエパンです。
このサイト、「unatokanato」で二人の日常などを書いています。

 

インフルエンザ脳症の後遺症で障害を持ったunaでしたが、なんとか以前から通っていた保育園に継続できるようになりました。

↓以前の記事はこちら

インフルエンザ脳症の後遺症で保育園に通えるの?~知的障害児との生活~
...

 

その時のunaには担任の先生以外にマンツーマンで一人先生が付いてくれることになりました。
(多分加配の先生だと思います。しかしそれについての報告、紹介等はなかったので、当時加配保育士という存在さえ知りませんでした。)

加配保育とは?保育園でつけてもらうにはどうしたらいい?
...

 

一年間、この先生にお世話になったのですが、短い期間ではあったもののすごくunaのことを親身に思ってくれる先生でした。

 

もしかしたら、私よりunaのことを知っていたかもしれません。




当時の私はフルタイムで仕事をしていて、朝unaとkanaを保育園に送って仕事にいく。

 

18時20分を過ぎると園長料金が加算されるので、18時に仕事が終わってから走ってロッカー室で着替え、仕事場の駐車場へも走っていきました。

 

仕事が終わったら迎えに行って、家についたら夕飯の支度。

 

夕飯はいつも20時頃に食べていて、夕飯を食べて風呂に入ったらもう幼子は寝る時間です。

クタクタだった自分もほとんど子どもと一緒に寝てしまっていました。

朝もギリギリまで眠っていたかったし、朝食ができる前にunaが起きだすと手がかかるので、なるべく物音を立てないように食事の支度をしました。

 

起こさないように、くしゃみの一つでさえも我慢していましたね。

 

それくらい、unaと自分とが関わる時間が少しでも少ない方がいい

 

毎日そんな感じで過ごしていました。

 

でもそんな私とは相反して、その先生は有難いことに、なるべくunaと濃い時間を過ごしたい、と思ってくれていた方だったんです。

 

本当に神様のような存在でした。



由紀先生

仮に名前を由紀先生としましょう。

 

大学を出たてのような若い先生が多い園の中で、由紀先生は結構年配な感じでした。

 

私はいつも遅い時間に迎えに行っていたので、あまり由紀先生と直接話をする機会はなく、会えたとしても先生が遅番の当番の日だけ。

 

月に一度あるかないかです。

 

でも、運よく会えた時には、いつも本当に嬉しそうにニコニコしながらunaの生活の報告をしてくれました。

 

今日はこんなものが食べられた。
こんな絵本を読んで、
ロッカーの何個分まで伝い歩きをした。

 

私が日常生活でunaに目をつぶってきたことが多かった分、先生のその報告を聞くことでunaの成長を知る手がかりとしていました。

 

毎日連絡帳にも生活の様子を書いてくれていましたが、

 

ああ、今日も生活できたんだ

 

とそれを読んでほっとする毎日でした。

だって当時は障害児となった(その時点ではまだ未判定でしたが)わが子を、自信をもって立派に育てる、なんて勇気がなかったんですよ。

 

だったら、

 

仕事をしているから、保育園に通えているんだし、
保育園へ行けば、先生が面倒を見てくれるし。
給食だから、栄養バランスとか考えてくれているだろうし。
なんで泣いているのかわからなくてハラハラしちゃっても、保育園の先生だったらなんとかできるだろうし、

外で遊ばせるなんて、どうしたらいいかはっきりいってわかんない。
でも、保育園の先生だったら、上手に遊んでくれるだろうし。

 

 

そんな思いで、能天気に仕事に逃げていたんですね。私ったら。

 

由紀先生も、そんな私に気づいていたのか、本当に根気よくunaと付き合ってくれました。

 

unaを育ててくれたと言っても過言ではないかもしれません。



今でもつながってる

1年間、unaの生活のほとんどをおまかせしてしまっていた由紀先生ですが、現在ではもう保育士の職は辞されたそうです。

 

でも、由紀先生とは未だにお年賀状のやり取りはあります。

 

1年に1回の近況報告ですが、それでも保育園を卒園してもう5年以上になるのにいまだにunaのことを心配してくれています。

 

1年間という短い間でのお別れでしたが、由紀先生とだったからきっとunaも楽しい園生活を送れたと思います。

 

今でも由紀先生のお顔は思い出せます。
優しそうな、品のある先生でした。

 

unaはもちろん、忘れてしまっているだろうな。

 

・・・。どうだろう。
覚えていたりするのかな。

1年間だけのお付き合いでした

さて、ここで問題です。

 

何回となく由紀先生とは1年間しか一緒に過ごすことができませんでした。と書きましたが、
それは何故でしょう?

由紀先生に異動の辞令がでた。
退職することになった。

ブブー。

違います。

 

正解は・・・

 

 

unaが転園の宣告をされた

 

からです。

 

ほーら、もう、この文章一行だけで世界変わってきましたよね?
転園ですもの。

転園宣告ってなにさ!

ってドキドキしちゃいますよね」?

 

 

でも、転園の騒動の話も長くなりそうなので、今回はここまでにしますね。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

今、これを読んでいて、わが子が障害児かも・・・、そうだったらどんな生活になるの!?
なんて不安に思われているお母さんがいたら、

 

楽ではないけど
不安に思うことばかりではない

 

ということが少しでも伝わればいいな、と思っています。
でも、楽ではないというのは障害児さんだから、というわけではなく「子育ては」という方が正しいです。

どんな子供でも、育てていくのに楽なことばかりなんてことないですよ。

 

障害児さんのお母さんだって不安になることはありませんよ。

実際、私も今まで生きてこられてますから^^




 

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