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3.11

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日記

今日で8年目。

東日本大震災のあの日から8年経ちました。

 

朝から各テレビ局では、現在の被災地や被災された人の様子を流している。

 

何もできない。
何もできていない。

そんなもどかしさばかりを毎年感じている。



 

8年前のこの日、私はたまたま夜勤明けで帰ってきたパパンと子どもたち二人と家にいた。
パパンのお友達が来たので、一緒にお昼ご飯を食べてそろそろ・・・という時に大きな揺れが来た。

子どもを抱えて床にしゃがみ込む。ソファに頭をくっつけて、その中にこどもを押し込むように抱きかかえて。思ったより、揺れが大きくて長い。
水槽の水が音を立ててこぼれ始めた。
パパンがそんな私たちの上に覆いかぶさる。

「こわい!こわい!」

自然と叫んでいた。子供たちを不安にさせないようにしなければいけなかったのに、怖くてたまらなかった。

 

 

 

・・・揺れがおさまって、ほっとした。

 

普段のよりちょっと大きい地震だったね。

 

そんな感覚だった。
だから、そのあとkanaの10ヶ月健診に車に乗って出かけて行った。

 

いつもの小児科についても

「さっきの地震、大きかったねー」

なんて看護師さんと言いながら待合室で待っているときだった。
待合室で流れているニュースが、津波の一報を伝えていた。

瞬く間に港に波が入り込み、かごが散乱している。
そんな時に、余震で病院も揺れる。

「窓から離れて!!!」

先生に言われて、待合室の真ん中のソファにうずくまった。
急いで健診しちゃおうって、すぐ診察室に入った。

「よく、来たね・・・」
先生のその言葉は最初、何を言ってるのかわからなかった。



健診を終えて、病院から出たとき、サイレンが鳴っているのに気が付いた。

「津波警報だ・・・。」

 

そう、気づいたとき、はっっ!と目を通りに向けると、さっき車で通ってきた道が大渋滞していた。
その時、さっき先生が言った「よく来たね。」の意味がわかった。

 

 

ジンベエの地域は、津波警報が出たものの実際にきた津波はほんの数センチ程度だったということと、自宅が内陸よりだったので、被害を受けることはありませんでした。

 

でも、あの時の不安は今でも鮮明に覚えています。

今までこの時のこと、ブログに書いたことはなかったのですが、なんだか今年は自分も当時のことを忘れないないように書き留めておかなくちゃいけない気がした。

 

いろんな形で、

いろんな思いで

今日を迎えた人たちがいる。

 

私にできることは毎日のように模索してるけど、
せめてこれからは
みんなが平穏な日々を迎えることが、いつかできるようにと心の中で祈ってみる。

 

 

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