
みなさんこんにちは。
養護学校に通う女の子、unaと市立の小学校に通う弟、kanaの二児の母、ジンベエパンです。
このサイト、「unatokanato」で二人の日常などを書いています。
先日、福祉サービスの更新の時期が近づいてきたということで、相談員さんとモニタリングしてきた、というお話をしました。
そこで、もう思春期だから、というびっくりなお話をきいたのですが、その中でもう一つ胸にちくっとする言葉があったのです。
最近、なんでも自分でしたがるが、上手にできないのでイライラしているという話をしたときです。
イライラしているから、手助けしようとすると余計に起ります。
今私がやってるの!
自分でやりたいのに上手にできないっ!
と、言った感じです。
順番にやればできるのに、とか
助けてもらえばイライラしないだろうに、とか思いますが、
本人のプライドが許さないのかな。
なんて、話をしていると
施設長のおばあちゃん(もっと他に言い方ないかな・・・)が
あー
というため息ににた言葉とともに、私にこう言いました。
「うなちゃんは、こういっては申し訳ないけど、
一人じゃ生きられない。
誰かの助けがないと生きていけないからね。」
「助けてもらう、ということが素直に受け取れないとこれから難しくなるから。」
unaが障がいを持つようになって、保育園を転園しなければいけなくなった時、
誰かの助けを借りなくてはいけない
状態だということには気が付きました。
それから、いろいろな人の助けを受けてunaは支えられています。
私もそれは感じています。感謝しています。
でも、それは私やパパがいてunaの生活の保障があるうえで、誰かの助けを借りている状態です。
施設長のおばあちゃんが言った
誰かの助けがないと生きていけないからね。
という言葉は、親という守ってあげられる存在を失ったとき、または手を離れていくときなんだと感じました。
いつかは別れるときがくる。
どんなに心配しても、心配しても必ず別れがくる。
そんな時、だれがunaを助けてくれるのだろう。
そんなことを考えたら、胸が痛くなった。
まだまだ先のことのように思っていたけど、思ってるけど
必ず来る別れ
に関して、きちんと考えたほうがいいのだろうか。
まだ、先のことと思ってていいのだろうか。
すぐには整理が付けられない。
だからこそ今日もまた、unaとkanaを心から愛してあげようと思った。
必ず来る別れがいつ来ても後悔しないようなそんな生き方をしたい。
珍しく、おセンチになってしまうジンベエでした。
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