みなさんこんにちは。
養護学校に通う女の子、unaと市立の小学校に通う弟、kanaの二児の母、ジンベエパンです。
このサイト、「unatokanato」で二人の日常などを書いています。
前の保育園で、さよならをして、新しい保育園に入ることになりました。
前回の記事はこちら↓

unaは入園児には一つ年下のクラスに入りました。
子どもの人数に対して、先生の数も多いからです。
子どもたちの成長は早いので、一つ上のクラスになると、遊び方がだいぶかわってきます。
動きも違います。
unaと同じ歳の子たちに入っても、きっとunaは足手まといになることが多かったんじゃないかな。
だから、一つ下のクラスでよかったと思っています。
教室からトイレに向かう廊下には、子ども背の高さに合わせた低い手すりが付いていました。
これなら、unaでも歩行の練習ができます。
これだけでも、障害を持っているunaがこの園にきていいんだ、と実感しました。
これからはunaの障害に目をつぶらずに、ありのままのunaを出していいんだと。
でも、なかなか最初からそうはいきません、
子どもたちの洗礼をうける
子どもの障害を受け入れることすら難しいことなのに、そのありのままの姿を第三者に見てもらう最初の一歩というものは、すごく勇気がいることです。
見ないで見ないで~と言ってると、だんだん自分と自分の子どもたちのことが客観的に見れなくなって、自分だけの殻に閉じこもります。
新しい保育園に入り、最初の頃は保育園の送り迎えの時に、ベビーカーに乗せたunaを押して歩くと、園の子どもたちが寄ってきては
なんでこんなに大きいのにベビーカーのってるの!?
とわーっと寄ってきて大きな声で叫んでくれます。
まさに、なんでなんで~の洗礼を受けているかのようです。
最初はそれがいちいちいやで、「ちっ、うるせーな。」と小声でつぶやいていました。
でも子どもは正直です。
だから聞くのです。
不思議だから。
そうですよ。
自分よりも大きなお姉ちゃんがベビーカーの乗っていれば、そりゃ不思議に感じます。自然な感覚です。
大人になっていくにつれて
ああ、どこか不自由なんだな、とか
障害者さんなんだな、とか
わかってくるから声をかけないだけなんですよね。
でも、当時の私はまだ鉄壁な心を持っていたわけではないので、小さな子にじーっとunaを見つめられたら、あまりいい気はしません。
「あっち、いってくれ。」
とやはり小声でつぶやきます。
でも、unaはそんなことさえ気が付かないので、近寄ってきた子どもにニコニコしています。
もしくは一心不乱に指を吸っていて本当に気が付かない。
ああ、わからないことって悪いことばかりじゃないのですね。
と、変なところに感心していたものでした。
走って帰る
それでも、そんな子どもの視線に耐えられない自分はいつもこそこそっと逃げるように帰っていました。
園庭で他のお母さんたちが話していようもんなら、走りました。
殻にこもりたい。
殻にこもりたい。
見ないで~。
呪文のようにも感じるその感覚を常に持ち続けて送り迎えをしていた時期が続きました。
しかし、走って園を出ようとする私の後をkanaが必死に追いかけてくるんですよ。
ありゃ、こりゃいかん。
時々kanaを忘れてしまって(ダメ母です)ダッシュで走っているときに、遅れないように小さな足で必死に走っているkanaを見つけて、とてもすまないことをした気分になりました。
これでは、kanaも隠しているのではないだろうか?
kanaまで、殻に閉じこもらせてはいかん。
そこで私は気づきます。
障害児という姉がいるkanaもありのままにださなくては、と。
これから、辛いことがたくさん待っているかもしれない。
でも、ここでkanaも現実に飛び込まなければ、もっと辛いだろう。
自分の置かれた立場を、まだ言葉では理解できないkanaにとって、
現実として体験させていった方がよい。
子どもは素直
それから私は、園庭で走ることはしませんでした。
子どもたちが近寄ってきても、
「まだねー、歩くことができないんだよー」
と説明して歩きました。
なんでなんでー?
病気しちゃったの。
そっかー。
kanaのお姉ちゃん、歩けないのー?
そんな会話を交わしながら他の子どもたちと一緒に園を出るようにしたのです。
子どもたちってね、こういう会話の後にね
「かわいそうだね。」とか
「大変だね。」とか
そういう類の言葉ってないんですよ。
そっかー。
で終わり。
自分が疑問に思っていたことが解決すれば、そこで終わっちゃうんです。
それが逆によかった。
素直な子どもたちだったから。
素直だからこそ、きつい言葉もかけてくれますけどね^^;
でも、子どもたちのそんな言葉も自分も素直に聞けるようになりました。
あの、イケメン保育課幼馴染に会っていたころに比べれば・・・。
↓ダメ人間の部分で登場します。
こんな子どもたちの会話があったから、少しずつunaのありのままを見てもらおうという気になれました。
直球で聞いてきてくれたから、逆によかったんでしょうね。
言葉に何かを含んでいるわけでもなく。
そして、他の子どもたちとunaのどこが違うのか、それも子どもたちの会話の中にあった、子どもの疑問によってわかることができました。
それは否定的な感覚ではなく、むしろ毎日教えられているようで徐々に楽しくなっていくのです。
今後は、そんな素敵な園の子どもたちとuna、kanaの生活もご報告していければいいなと思っています。
今回も最後まで読んでいただいてありがとうございました。
今日も読んでくださった皆様に、結果オーライの神様がついていますように。