みなさんこんにちは。
養護学校に通う女の子、unaと市立の小学校に通う弟、kanaの二児の母、ジンベエパンです。
このサイト、「unatokanato」で二人の日常などを書いています。
インフルエンザ脳症の後遺症で障害を持ちながらも、以前からの保育園に通うことができました。
(多分)加配の先生もついてくれていたので、園生活に不安はありませんでした。
大変なことといえば、当時1歳のkanaも同時に通っていたので車から降ろすときに、二人を同時に連れていかなければいけなかった、ということです。
unaを先に降ろしてkanaを待たせれば、彼が大泣き。
その反対も然り、unaを残していけばunaが・・・という始末。
そんなに泣くんだったら仕方ねぇ。
私はunaをおんぶひもで背負い、kanaを抱き、小脇にはお昼寝用の布団を2組左肩に抱え、右肩には替えのオムツやらなんやらを抱え、よろよろと駐車場から園の入り口まで運んでいきました。
まさに肝っ玉かあさんですよ。
さすがに雨の日には先生が入り口まで迎えに来てくれることもありましたが、基本普段はそんな筋肉増強レベルマックスの荷物を(子どもを)抱えて通っていました。
・・・。
若かったんですね。私も。
それでも、こんなunaを見てくれるのだから、という気持ちはいつもありました。
だから、送り迎えが大変でも、unaが保育園に行ってくれる。
その喜びの方が大きかったから、あんな肝っ玉状態でも辛くはなかったんでしょうね。
でも、そんな幸せな日々も突然終わりを告げることになります。
園長室にお呼び出し
12月の初めごろになると、来年の継続書類を出してねーと保育園から渡され始めます。
私も、そろそろ来るかなーなんて待っていたんですけど
・・・。
・・・。
あれ、先生忘れちゃってるのかなぁ、なんて思っている矢先に、unaの担任の先生(由紀先生)から伝言をもらいました。
明日、帰りに園長室に寄って下さいと言ってました。
?なんだろう?
その時はまさか転園の話をされるなんて思ってもいなかった私は
はいはーい
と二つ返事でその日は帰宅したんです。
翌日、迎えにいくと遅番の当番の先生が「二人を見てますから、園長室に行ってください」とうながされ、そろそろと入っていきました。
園長室に入るには、相談室を横切ります。
あの、テロテロだったunaを見定められた部屋です。
あの時には、私も半分パニックだったし、誰にでも噛みついていた狼野郎だったけど、おかげさまでここまでこれたもんだ。
なんてしんみりしました。
転園宣告
園長室に入って椅子に座ると、園長先生は書類を持ちながら私の前に座りました。
ははーん、unaのことで何か特別な書類でも書かされるんだな。
だったら、こんな面倒なことしなくてもいいのにな。
なんて思っていた私に聞かされた第一声は
来年は、unaさんはこの園では見られません
でした。
見られませんてナンデスカ?
ドウイウコトデスカ?
あまりにも予想していなかった言葉に、思考回路がすべてカタカナになってしまうほどのショックを受けます。
申し訳ないのですが、来年度は他の保育園を探してもらえませんか?
私の目を一切見ずに話す園長先生。
私もわけのわからない震えを抑えながらやっと一言絞り出します。
ナンデデショウカ・・・・
そう言ったときに、奥から主任の先生が入ってきました。
「私から説明しますね。」
この登場の仕方、
ドラマかよ!
なんだ、このタイミングの良さ。
なんて思いながら、主任の先生のお言葉を待ちました。
転園の理由
まず、この保育園は2階建てて、クラスが上がると年少さんから2階の教室に移ります。
と、なるとunaも来年度は年少クラスなので、2階へ上がることになるのですが、
そう、unaはまだ階段をのぼることができない。
まだ、一人で歩くこともできないunaが階段をのぼることは不可能です。
第一の理由はそこにありました。
階段を上ることができないとなると、保育士の手が必要となる。
2階への上り下りに、保育士一人をunaだけに付けることができない。
と言われました。
あれ?加配(だと思っている)先生は?
現在、マンツーマンでついている先生も時短で来てもらっているので、常にunaについているわけではない。だからこそ、その先生がいない時に
災害などで緊急避難が必要となった場合、unaを守ることができない
と言われました。
それなら、もう一度一つ下のクラスで、1階の教室で保育することも考えてくれたそうですが、結局そこで1年間生活しても、unaの身体的向上が認められなければ同じことの繰り返しになり、さすがにその時にはもう2歳クラスに入れるのは無理。との判断でした。
そりゃそうだよね、体は大きくなるんだもの。
納得せざるを得ない
先生が言った理由は正論です。
他にもたくさん小さな子がいて、緊急避難なんてなったらその小さな子どもたちの命を守るのに必死なわけで、もちろん、unaがその中の一人だったとしても、
一人を助けるより、たくさんの命を救わなければいけない
わけで。
ひねくれた言い方をすれば、
unaが足手まといなのか!
とか、
unaが邪魔なのか!
とか、そんな悪態はいくらでもつけたんですが、あまりにも正論過ぎるので何も言えず。
ワカリマシタ・・・
と返事をするしかできませんでした。
帰りの車の中で
何もわからずきょろきょろ外を見ているkana。
指をしゃぶって今にも眠ってしまいそうなuna。
そんな二人を見て、車の中でオイオイ泣きました。
悔しかった。
unaを守れない、と言われたこと。
unaを守ることができない保育園があるってこと。
他の子どもたちよりも、もっと助けが必要なんだってことがこの瞬間にわかった。
助けが必要な、普通の子じゃないんだって再確認させられた。
でも、肝っ玉母さんでも、涙はでるんだ、と途中で冷静になりました。
泣いていても、帰ったらこいつらに夕飯作ってやんなくちゃいけないし、
風呂にいれなくちゃいけないし。
泣いていても、母ちゃんって永遠なんだな。
と。
振り返って
当時、まだ障害のことについて、仕事にかこつけて真剣に考えていなかった私に、
もうちょっと真剣になりなさいよ
と神様がいった瞬間だったと思います。
何もかもが初めてのことで、辛いと感じることが多い毎日でした。
当時の冬は、もう気分も落ち込みましたね。
来年度の保育園はどうすればいいんだ・・・。
そんなことを毎日考えていました。
でも、そんな私たちでも、次の保育園を探さなくてはいけません。
次は、そんな2つ目の保育園を探していた当時のお話を書こうと思っています。
ここまで長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。