みなさんこんにちは。
養護学校に通う女の子、unaと市立の小学校に通う弟、kanaの二児の母、ジンベエパンです。
このサイト、「unatokanato」で二人の日常などを書いています。
私はunaが生まれてからも、結婚前から勤務していた仕事をつづけたので、すぐに保育園へ入れることにしました。
正社員、フルタイムで働いていたので希望していた保育園にはすんなりと入れ、ずっと預けながら仕事をしていました。
そのうちに下の子kanaが生まれます。
当時は、私が住んでいた市では育児休暇を取得するとその兄弟は保育園には入れませんでした。
育休は仕事を休んでるだけじゃない、握ったら死んでしまうんじゃないかと思えるぐらいの生まれたばかりの赤子を育ててるんだ。
そのうえ幼い兄弟の面倒も見るんだよ。
こういう時の母親の負担を少しでも減らすための保育があってもいいだろうに。
今思えば、なんて残酷な規則だったと怒りさえ感じることがありますが、現在では育休をとっていても入れるようになったみたいですね。
行政もやっと母親の大変さをわかってきたか。
ま、そんな私の怒りはさておき、kanaが1歳になったとき復職する予定だったので、その間の育休時には「一時預かり」という形で保育園を利用しunaを預けていたのです。
利用時間は短くなり、お昼ご飯が終わるとすぐに迎えに行かなくてはいけませんでしたが、それでもkanaの夜泣きで眠れる時間が少なかった私にとって、一時預かりはとても助かりました。
嬉し、楽しの保育園生活
その最初に行っていた保育園はできたばかりで、とてもきれいで設備も整っている保育園でした。
木の香りがする、まるでログハウスのような作りの建物。
お日様がさんさんと降り注ぐ明るいお教室。
小さい子供が遊ぶための、新品の木の積み木。
ピカピカに輝く板張りの廊下。
迎えにいくと、サークルの柵に子どもたちが連なりママのお迎えを待っています。
ママを見つけると嬉しくなって飛び跳ねる子がいると、それを見て他の子たちも飛び跳ねるもんだから、みんなで飛び跳ねちゃう。
私もそんな子供たちを見てたら、かわいいもんだから一緒に飛び跳ねていたのですが、それを見かねた先生に
「ほかの子供たちにぶつかると危ないので・・・」
と注意されたこともありました。^^;
unaはもともと歩くのが遅い子でしたので、先生たちも毎日気にしてくれて歩きだしたとなると
「ほかの先生は歩いたところ見たっていうのに、私は見れなかったんですよ!残念!!」
なんて連絡帳に書いてくれたりして、unaのことかわいがってくれていることがよくわかり、私もお迎えに行ったときに話してくれる、子どもの一日の様子を聞くのが毎日楽しみでもありました。
状況がかわる
そんな中、unaがインフルエンザ脳症にかかり入院します。
2歳5ヶ月の時のことでした。
今思えば悲しいかな、冬だったのでインフルエンザも流行りだし、保育園でうつるのが怖いからと、一時保育園へ行くのを取りやめていた時でした。
退院して、座位の保持も難しいunaを果たして保育園へ預けられるのだろうか。
そろそろ退院、と言う時に、私はこのことで頭の中は一杯。
退院をするころには、もうkanaが1歳近くなっている。
仕事も復帰しなければいけない。
焦りと、不安とで毎日眠れず、実家に帰っては仏壇の前で、答えの出ない不安をひたすら頭の中で考えては、打消し、考えては打消し、ということを繰りかえしていました。
そんな姿を私の母は
この娘は仏壇の前に一日座っていて大丈夫だろうか、
と不安になっていたことでしょう。
しかし、このまま毎日私が仏壇の前に座っていても何も解決はしない。
unaにとっても、動けない、と家の中にいるより保育園へ行った方がいいんじゃないか。
少しの刺激でも、unaの体が動くようになるのならば。
そう思った私は、心をきめて保育園へ電話をしたのです。
見せたくなかった
保育園へ電話をし、簡単に状況を話しました。
最初、電話に出たのは担任の先生だったのですが、話をしていくうちに事の重大さに気づいたのか、園長に変わるから待っててくださいと言われ、電話口の向こうで
「園長先生!unaちゃんが大変です!」
と言ったのが聞こえてきました。
やっぱり、今のunaは大変なことになっているんだ
もしかしたら、そんな事たいしたことではないのかもしれない、親だから大げさに考えていたんだ。なんて小さな希望を抱いていた私に現実というパンチがふってきた時でした。
それから、園長先生と担任の先生と、市役所の子供家庭課の担当の人とunaを連れてお話をすることになりました。
今のunaの現状を見てみないとわからないというのです。
私は畳んだ敷布団を背もたれにし、両脇を座布団で支えながら座っているunaを見て一層の不安がつのりました。
この子を見せなければいけないのか・・・
そんな不安です。
隠したいとかそういうことではありません。
お医者さんでも、家族でもない人たちに、今のこのunaを見せて
ああ、やっぱり普通の子とは違うよね
と認識されるのが嫌だったのです。怖かったのです。
そんなことわかっているんです。
親が一番わかっているんです。
なのに、なんでそんなこと言われなくちゃいけないのさ。
そんな思いを繰り返しては、さめざめ泣く私を見てパパさんは言いました。
ああ、そうか。
私の中では、unaを見て、ここがだめ、これができない、これもできないと他人にレッテルを貼られていく感じが強かったのですが、
できないところが何か確認しないと、
何を助ければいいのかわからない
ということだったんですね。
パパさんの一言で気が付けました。
そして、私はunaを連れて、保育園の相談室のドアを開けたのです。
ちょっと長くなりましたので、今回はこの辺で。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
障害児を育てながら、すぐにへこたれてしまう私も読者さんがいると思うとまた頑張れます!
みなさん、また少しだけ頑張りましょう!
そして、手を抜けるところはとことん抜きましょう!