みなさんこんにちは。
養護学校に通う女の子、unaと市立の小学校に通う弟、kanaの二児の母、ジンベエパンです。
このサイト、「unatokanato」で二人の日常などを書いています。
unaには2歳違いの弟のkanaがいます。
kanaが生まれて8ヶ月の時に、unaがインフルエンザ脳症にかかり入院をしていました。
なので、もう気が付けばkanaにとってunaは障害をもっているお姉ちゃんでした。
保育園に通う時も、unaが障害児用のベビーカー型バギーに乗ってその前にkanaが乗って門まで入っていたので、はたから見たら大きいお姉ちゃんがベビーカーに乗っているという不思議な光景だったかもしれません。
障害児の兄弟になるということ
わが子が障害をもつという事実を突きつけられた時、自分である親、そして本人のことで頭がいっぱいになってしましますが、その兄弟のことも考えてはいかなくちゃいけないな、と心配される親御さんもほとんどだと思います。
障害児の兄弟、弟になるということは、少なからず苦労が多いことになってしまうだろう。
私たち夫婦もunaがインフルエンザ脳症に罹り、後遺症が残ったとわかった時から常日頃、頭の片隅にはいつもそんなことを思っていました。
幼いころにはまだ知的障害も年齢とそんなにかけ離れたものではなかったので、ちょっと体の大きな2歳児がいつまでも家にいる、という感覚で済みました。
kanaにunaのことを話したのは、保育園の年少さんから年中さんになるころ、unaが保育園を卒園し、養護学校に入学が決まったころでした。
これが、初めてkanaにかけた言葉だったと思います。
kanaはこくんとうなずきました。
このうなずきは私にとって少し衝撃的でしたよ。
知ってたんか・・・
普段、何も言わなかったのに、心のどこかではなんか違う、と感じていたのだろうか。
いつから?何を?どんなところで?どういう風に違うと思った??
いろいろ聞きたい衝動にかられましたが、そこは面倒くさがりのジンベエだったのでその時は
ま、いっか
と流しました。
聞いたところで、kanaだったはっきりとはわからないだろう。
それを今根ほり葉ほり聞いでも、きっとkanaも戸惑うだろうな、と。
今思えばこんな適当さで救われたことってたくさんありました。
適当、ってある意味ではとても便利です^^;
でも、それはあくまでもunaがそういう状態だってことをなんとなく知っているだけで、だからkanaはこういう状況なんだよ、ということをいつかは話さなくちゃいけないなぁ、とはぼんやり思っていました。
違いが寂しい
でも、実際の生活って皆さん、どうですか?
つい、できる兄弟には期待をしてしまっていませんか?
そう、我が家でも期待しましたよ。
やれることはやってよー!
ってね。
幼いころはもちろんkanaだってできないのですから、すべてのことに手を貸します。
だんだんunaに手がかかるようになると、その違いが顕著になってきます。
特に、kanaが感じていたのは
僕はできるから自分でやれって言われるけど、
unaはお姉ちゃんなのにやってもらっている。
と、いうこと。
朝の支度で、ハンカチ、靴下を用意するとします。
kanaはもう自分の引き出しから、それらを出してポケットに入れる、靴下をはくということはできるようになっています。
しかし、unaはできない。
だから、私が、パパが、ハンカチをポケットにいれてあげる。靴下をはかしてあげる。
この差が、この光景がまだ保育園に通っているkanaにとってはとても、とても寂しいと感じる光景だったんですね。
僕だって本当はママに履かせてほしい。
だから、いつまでも履かない。
すると、ママに「早く履いて!」と怒られる。
まだまだ親に甘えたい時期です。
当たり前の感情です。
このくらいの年頃の時に、弟や妹が生まれたとき「赤ちゃん返り」をする子がいますよね。
きっと、それと同じ感情です。
kanaはためて、ためてから感情を爆発させる子でした。
普段から、この違いについて怒ったりすることはなくても、それが続くと一気に爆発させる子でした。
私も、初めはunaに手がかかり、unaの将来を不安に思い、時には悲観に暮れているのに、そんな怒られても、「こっちだって大変なんだよっ!!」と思っていたこともあります。
でも、気が付いたんですよ、こんな私でも^^;
そっか、kanaは
違いを知っていたからこそ、ここまでためてきたんだ
と。障害児の弟だと気が付いているからこそのためかただったんだ、と。
倍にすればいい
そんな爆発したkanaを見て気が付いた私は、できる限りkanaの要求にも応えようと思いました。
靴下はかせるのなんて、中学生になってもやることじゃない。
私ができないことは、やらなければいい。
そう腹をくくったのです。
ハンカチを出す、靴下をはかせる、かばんを肩にかけてやる、靴をはかせる、車のシートに抱き上げて座らせてやる。
作業がただ倍になるだけだ、そう思い込むことにしたのです。
それからどんな小さなことでも、unaにしていることを、kanaにもするようにしました。
でも、それは大変自分には苦労がかかることです。
なので、少し自分が楽をする方法として、まずはkanaが要求した時だけにしました。
だって、こっちから先にやってたんじゃ気をつかうし、すべてをやるのは自分だって疲れちゃうもの。
今日一日生きれば立派
どうだ、これでkanaも少しは寂しくないだろう、と思って毎日過ごしていましたが、
実際はそんなことありません。
どんなに同じことをしていても、kanaは気づいています。
unaのことを心配している親の姿を。
同じことをしていても、同じものを買ってみても、それでもkanaはいつもunaにハラハラしている私の気持ちに気づいているのです。
でも、決してkanaを邪険にしているのではない。
kanaが邪魔なわけではない。
kanaも大事な家族だし、kanaがいるからunaもこうしていられるわけで、いや、kanaが何かしてくれるからというわけではなくて、kanaがそこにいる、というだけで充分なわけで。
kanaが障害児の兄弟だっていうだけで、我が家の大事な子どもということには変わりがないわけで。
でも、まだまだ小学3年生ですから、言葉で伝えても、本人がわかっていてもなかなか飲み込むことは難しいことです。
寂しいときは寂しいんです。
そんな時は、unaを手伝っていた手をとめて、kanaを抱きしめます。
最近は嫌がります。はい、蹴飛ばされたりします(本気ではないですよ)。
でも、抱きしめます。
あなたが嫌がっても、私はあなたを抱きしめたいと思っている。
unaもkanaも同じように愛している。
それを伝えます。
その時、ごめんとは決して言いません。
ごめん、とは後ろめたいから言う言葉だからです。
kanaに対して後ろめたいことはしていません。
大変なことが多いです。
知的障害を持っている子どもの母として、その兄弟の母として、妻として、やることはたくさんです。心配なことも、体が疲れちゃうこともたくさんです。
本当にたくさんありすぎてつぶれそうなくらいのお母さんもたくさんいます。
でも、みんな一生懸命毎日を生きています。
後ろめたいことなんて何一つないのです。
優れたことができなくても、
今日一日、障害児の母親として、障害児の兄弟がいる母親として生きてきた。
それだけで、立派なことなんですよ。
うまくいかない日があったって、落ち込むことなんてないんです。
それが当たり前なんですから。